長い闘病生活の末の別れ。悲しみの中に「ホッとした」自分がいて罪悪感を抱えている方へ

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はじめに

長い間、闘病や介護を支え続けたあとのお別れ。すごく悲しいはずなのに、ふと「ホッとした」という気持ちが混ざっていることに気づき、自分でショックを受けてしまった方はいませんか。「あんなに大切な人だったのに、こんなことを感じるなんて、自分は冷たい酷い人間なのでは」と。

——そんなふうに、自分を責めてしまう方も、少なくないと思います。今日は、その「相反する気持ち」が、決しておかしなものではないということを、お伝えしたいと思います。

悲しみと安堵は、同時に存在していい

人の心は、ひとつの感情だけでできているわけではありません。深い悲しみと、ほっとするような安堵は、同じ胸のなかに、同時に存在することができるのです。長い闘病生活を支えてきた方であれば、なおさらです。

愛する気持ちと、支え続けることのつらさは、いつも隣り合わせにありました。その両方が本物だったからこそ、お別れのときに、悲しみと安堵が、一緒にやってくるのです。

「ホッとした」のは、頑張ってきた証

介護や看病を続けてきた日々は、決して楽なものではなかったはずです。眠れない夜、先の見えない不安、気を張り続けた時間。看病(介護)は想像する以上に体力・気力ともに疲弊してしまいますものね。

そうした毎日を積み重ねてきたからこそ、その緊張がふっと緩んだときに、安堵の気持ちが生まれるのです。それは、あなたが冷たいからではありません。むしろ、それだけ懸命に、その方を支え続けてきたという、頑張りの証なのです。

「ホッとした自分」を責めなくていい

長い闘病生活のあとに感じる安堵は、心理学的にも、人間の自然な防衛反応のひとつだといわれています。張りつめていた緊張から解き放たれたとき、心はまず、安全を確かめようとします。それは、悲しみが浅いからでも、愛情が足りなかったからでもありません。むしろ、深く愛し、懸命に支え続けてきた人ほど、その反動として、大きな安堵を感じることがあるのです。

「ホッとしてしまった自分」を、どうか責めないでください。悲しみと安堵は、対立するものではなく、どちらも、あなたがその方を大切に思っていたことの、あらわれなのです。

ひとつの感情が生まれたからといって、もうひとつの感情が嘘になるわけではありません。両方とも、本当のあなたの気持ちです。罪悪感を抱く必要はなく、ただ、そのままの自分を、静かに受け入れてあげてください。

おわりに

悲しみのなかに、安堵の気持ちが混ざっていても、それはあなたが薄情だからではありません。長い間、精一杯支え続けてきたからこそ生まれる、自然な心の動きです。

相反する気持ちを、無理にどちらかに決めようとせず、両方とも、そのまま抱えていていいのです。どうか、「ホッとした自分」を責めず、これまで頑張ってきたご自身を、優しく労ってあげてくださいね。

ハッピー相談室Az 大和由起子

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