グリーフ・サバイバーという生き方。悲しみを越えて、同じ道を歩く人へ

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はじめに

大切な人を亡くしたあと、私たちは、その悲しみとともに生きていくことになります。でも、その道のりを、ずっと悲しみに沈んだまま歩き続けるわけではありません。

悲しみを抱えながらも、少しずつ自分の人生を取り戻していく人のことを、「グリーフ・サバイバー」と呼びます。今日は、このグリーフ・サバイバーという言葉の意味を、私自身の経験も少し交えながら、お伝えしたいと思います。

グリーフ・サバイバーとは

グリーフ・サバイバーとは、死別という大きな悲しみを経験し、それでもなお、その悲しみとともに生き抜いている人のことを指す言葉です。悲しみを「乗り越えて、忘れる」ということではありません。むしろ、悲しみを心のなかに抱えたまま、それでも前へと歩み続けている、その姿そのものを表す言葉です。

悲しみがなくなることがゴールではなく、悲しみとともにある暮らしを、自分らしく生きていくこと。それが、グリーフ・サバイバーという生き方なのだと思います。

現実を受け入れられなかった、あの頃の私

実は私自身も、闘病生活の末に大好きな夫を見送ったとき、しばらくの間、その現実をうまく受け止められずにいました。頭ではわかっているはずなのに、心がついていかない。つらすぎて意識ももうろうとしていたため、葬儀という場に立つことすら、とても耐えられそうにないと感じていました。

「ちゃんとお見送りをしなければ」という思いと、「とてもそんな状態ではいられない」という本音のあいだで、ひとりもがいていたのを、今でも覚えています。

「自分なりのお別れでいいんだよ」と言われて

そんなとき、母親が私にこう言ってくれました。「自分なりのお別れでいいんじゃない?」と。その一言で、肩の力が、すっと抜けたのを覚えています。それまでの私は、「きちんとした形で、ちゃんとお別れをしなければならない」と、自分で自分を追い詰めていました。でも、お別れの形に、決まったルールなどないのです。葬儀という場に立てなくても、涙が出なくても、自分のペースで、自分なりの方法で、大切な人を想う時間を持てたなら、それで十分なのだと、そのとき初めて思えました。

私は霊安室でお別れできたことを心に刻んでいます。それが肯定されたんだと思え、少し進むことが出来たんです。

グリーフ・サバイバーとして歩き始めるというのは、特別な強さを身につけることではありません。むしろ、「こうあるべき」という思い込みを、少しずつ手放していくこと。自分の心が感じるままに、悲しみとつきあっていくことを、自分自身に許していくことなのだと思います。今、同じように「ちゃんとできなかった」と、自分を責めている方がいたら、あなたのお別れの形も、それでよかったのだと、お伝えしたいです。

おわりに

グリーフ・サバイバーとは、悲しみを忘れた人のことではなく、悲しみとともに、それでも自分の人生を歩み続けている人のことです。「こうしなければ」という型にはまらなくて、大丈夫です。自分なりのペースで、自分なりの方法で、大切な人を想いながら生きていく。それもまた、立派な歩み方です。あなたの歩んできた道のりも、これから歩んでいく道のりも、どうかそのままで、尊いものだと知っていてくださいね。

ハッピー相談室Az 大和 由起子

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