なぜ辛くても生きるのか?グリーフケアから考える「意味を探さない」という処方箋

はじめに
楽しいことだけでなく、なぜ辛いことがあっても、私たちは生きていかなければならないのでしょうか。深い悲しみや大きな困難に出会ったとき、誰もが一度はこの答えの出ない問いを抱えたことがあると思います。
この問いに対して、西洋の考え方と、東洋、とくに仏教の考え方では、まったく違うアプローチをします。今日は、頑張りすぎて疲れてしまった方や、大切な人やペットを失った悲しみ(グリーフ)を抱えている方にとって、少しだけ心が軽くなるような考え方を、お伝えできたらと思います。
西洋哲学の視点:「意味は自分でつくり出すもの」
西洋の考え方では、人生には、最初から決まった意味はないとされています。
だからこそ、自分の意志で選び、行動していくことで、「自分だけの生きる意味」をつくり出していく、という考え方です。これは、前を向く力がほしいときや、これからの人生を自分の手で切り拓きたいときには、大きな支えになります。けれど、心が深く傷ついているときや、力が出し切れずに疲れているときに、この考え方を当てはめてしまうと、「意味を見つけなくては」「前を向かなくては」というプレッシャーになり、かえって苦しくなってしまうこともあるのです。
東洋哲学の視点:「意味を探すことをやめ、流れを受け入れる」
一方、東洋の考え方では、すべてのものは、川の流れのように常に変わり続けている(諸行無常)、とされています。
苦しいことも、楽しいことも、その大きな流れの一部であり、無理に抗おうとせず、「あるがまま」を受け入れていく、という考え方です。この視点は、「どうして私だけ」「この苦しみに、いったい何の意味があるのだろう」と、頭を悩ませ続けてしまう「意味を探し続けるつらさ」から、私たちをそっと解放してくれます。

グリーフケアにおける「東洋的な考え方」の力
責任感が強く、真面目な人ほど、悲しみのなかにも「意味」や「答え」を見つけようとして、知らないうちに自分を追い詰めてしまいがちです。でも、大切な人との死別のような、大きな喪失に対しては、そもそも「意味」など見つからないことの方が、ずっと多いのです。
かくいう私も無理に意味をつけて乗り越えようとしいた時がありました。亡くなってすぐの時にこの考えがぐるぐるとしていて、「早く意味を見つければ楽になるのかも」と、毎日もがきながら本当に辛かったのを思い出します。今思うと、まだ時期が早かったんですね。
ですので、ゆっくりと「意味がなくても、ただそこにある悲しみを抱えたまま、生きていっていい」と、自分に許してあげること。それこそが、とても大切なのだと思います。「抗えないものは、そのまま受け入れる」という自然な感覚を、もともと持っている方には、この東洋的な考え方——流れに、そっと身をまかせること——が、悲しみに寄り添う場面で、とても優しく働いてくれます。頑張ることをやめても、あなたは何も悪くありません。
おわりに
「生きる意味」をどう捉えるかに、絶対の正解はありません。もう一度立ち上がって歩き出したいときは、西洋の「意味をつくり出す力」を、少し借りてみてください。
でも、もし今、疲れ果ててしまっているのなら、東洋の「流れを受け入れる優しさ」に、身を委ねてみてください。もし今、無理に意味を探して苦しんでいる方がいたら、こう伝えたいです。
「今はただ、息をして、そこにあるだけで十分ですよ」と。
ハッピー相談室Az 大和 由起子
